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平和

原水禁世界大会報告(7)

原水禁世界大会に参加して3日間を通して感じたこと気づいたこと

なんぶ支部 なかよし保育園分会 
佐藤 幸次
 
原水爆禁止世界大会に参加して3日間を通して感じたこと気づいたこと、それは原爆の悲惨さと、若い世代で戦争を無くしたいと考える人が多くいるということでした。また、実際に現地に行って遺跡や資料館を見てみると、今までテレビや教科書で学んでいたことをよりリアルに感じることができました。

 初日、広島に着いてまず感じたことはとにかく熱いということでした。額に汗を流しながらまず到着したのは原爆ドームでした。骨組みだけになっているその姿は67年前の原子力爆弾の威力を物語っていました。そこから歩いて原爆を落とす目印だったT字型の相生橋等を見ながら千羽鶴を置く場所まで行きました。そこには千羽鶴をはじめ、平和をイメージした数多くの作品が置かれ日本全国の平和への想いが集められていました。そこへ保育園の父母からお預かりした千羽鶴を置いて、ひとまず私の大切な仕事の一つが終りました。記念撮影をして原水禁の会場である広島県立総合体育館へ移動しました。会場は私が想像していたよりもずっと大きく、人々の熱気で溢れていました。開会式が始まると世界各国の代表者の方が核兵器に対する想いや廃絶に関する自国での取り組みについてお話して下さいました。

 そのあとは青年交流会でした。自分と同世代の人がたくさん参加していて、日ごろの活動報告や活動していく中での悩みを話し合いました。活動の中では被爆者の声を後世に残していくもの等があり、いずれも若者が中心になって行っていました。私はそうした活動はどこか上の世代のはなしだと思っていた部分がありましたが、自分と同世代の人が本気で原爆について考えていて、考えるだけで終わりではなく実際に行動を起こしているということを知れたことで自分には何ができるだろうと考えさせられました。

 2日目、いよいよ分科会です。私は動く分科会という平和公園周辺の記念碑巡りをしました。その中で一番印象に残っていることは、ガイドさんが言っていた「これらの記念碑は市民の活動によって作られた。」ということです。原爆ドームをはじめとした記念碑は、当時を思い起こさせるという理由等から取り壊しを検討されていたそうですが、原爆の悲惨さを後世に語り継ぎたいという想い等もあって市民たちが全国に募金を募ったそうです。そうした活動がなければほとんどの物が壊されていたかと思うと、改めて活動を起こすことの大切さに気付きました。
そして最終日、平和記念公園にてセレモニーが行われました。67年前の今日は雲一つない快晴でとても暑かったそうですが、この日も雲はあるもののとても暑く「こんなに暑い日に落とされたんだな」と感じました。公園はものすごい数の人で壇上が見えませんでしたが、私たちは何とか資料館の前の段差の所から見ることができました。そして8時15分、原爆が投下された時刻になると平和の鐘が鳴らされ全員が黙とうして公園内が静寂に包まれました。私はその時ふと空を見上げてみるとなんだか67年前にいるような気がして、今にも落ちてきそうな空に鳥肌がたったことを覚えています。そのあと広島市長と首相の挨拶を聞いて、世界大会の閉会式会場に移動しました。

 閉会式では当時建物疎開をしていた被爆者の方のお話を聞くことができました。その方は仲間たちとじゃんけんで休みを決めていたそうで、当日は偶然にもじゃんけんに勝ち爆心地から少し離れた実家にいたおかげで助かったそうです。しかし数十人の仲間たちは爆心地からほど近い場所で作業をしていて全員亡くなり、自分が生き残ってしまったことにとても後悔したそうです。
 閉会式が終り、新幹線で家路につきました。今回原水禁に参加してあらためて平和について考えさせられました。戦争とは老人や子ども等の弱い人のことを考えてはくれません。原爆が落ちた直後も軍隊は戦争に使えそうな人から先に助けていって、戦争に使えない人は見殺しにしたそうです。世界大会を通して「平和こそ最大の福祉」ということを肌で実感することができ、次世代に語り継いでいきたいと強く思いました。
 

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